私たちの脳は、考えるよりも「動くこと」で変わっていく
何かを始められないとき、私たちはよくこう言います。
「まだ準備が足りない」
「もう少し勉強してから始めよう」
「やる気が出たら、そのときにしっかりやろう」
一見すると、慎重で理にかなった言葉のように聞こえます。ですが、その「待つ時間」が長くなるほど、私たちはだんだん動けなくなっていきます。始めるためにやる気を待っているのに、何もしないでいると、やる気はなかなか湧いてこないからです。
だとすると、私たちは物事の順番を逆に考えているのかもしれません。
脳科学者の解説によれば、私たちが信じている順番は、実は逆だといいます。
やる気が出たから行動するのではなく、行動するからやる気が出てくる。
変化は、心の中の決意から始まるのではありません。ほんの小さなことでも、体を動かし、口に出し、書いてみて、実際に試してみた瞬間から始まります。
脳は「考えるため」に作られたのでしょうか
私たちは、脳を「考えるための器官」だと思いがちです。
目や耳から情報を受け取り、それを分析して判断すること。それが脳の最も重要な役割だと考えます。だから、より多くの本を読み、より多くの講義を聴き、より多くの情報を集めれば、自然に成長できると信じています。
けれども、脳をもう少し違う角度から見ることもできます。
脳は、単に世界を観察して情報を蓄えるための器官ではありません。感覚器官から入ってきた情報を処理して、体を動かし、話し、危険を避け、環境に対応するために発達してきた器官だと考えられます。
つまり、脳の最終的な目的は、単なる「入力」ではなく、「出力」や「行動」にあるということです。
どれほど多くの情報を受け取っても、実際に使わなければ、自分は大きく変わりません。その理由が、ここにあるのかもしれません。
本を読むよりも、読んだ内容を実際に書いてみるほうが、長く記憶に残ります。講義を繰り返し聴くよりも、誰かに説明してみるほうが、理解が深まります。外国語の表現を目で覚えるよりも、実際の会話で一度使ってみるほうが、強く記憶に残ります。
脳は、自分が何を知っているかだけを見ているのではありません。
その知識を使って自分が何をしたのかを、重要な経験として受け取っているのです。
「入力」だけでは、人は変わらない
現代人は、どの時代よりも多くの情報を消費しています。
自己啓発の動画を見て、本を読み、成功した人のアドバイスを聴きます。新しいスキルを学ぶために講座を申し込み、運動法や勉強法を調べます。
ですが、情報をたくさん知っているという事実が、そのまま人生の変化につながるわけではありません。
運動法をどれだけよく知っていても、体を動かさなければ体力はつきません。文章の書き方を百回読んでも、一文も書かなければ、文章はうまくなりません。プログラミングの講義を繰り返し見ても、実際にコードを書いてエラーを解決しなければ、実力はなかなか身につきません。
入力は、変化のための材料にすぎません。
その材料を取り出して使い、失敗し、修正し、また試してみる。この「出力」の過程があって初めて、私たちの脳は新しい働き方を始めます。
だから、勉強するときも、ただ繰り返し読むよりも、次のような行動が大切になります。
学んだ内容を、自分の言葉でまとめてみる。
誰かに説明するつもりで、声に出してみる。
問題を、自分で解いてみる。
小さな成果物でもいいので、作ってみる。
これらはすべて、頭の中に入ってきた情報を、外へ取り出す過程です。
そして、その出力の瞬間に、知識は単に「見たもの」から、実際に「使えるもの」へと変わっていきます。
「やる気が出てから始められる」という思い込み
多くの人は、感情が行動よりも先にあると考えています。
気分が良くなければ運動できない。自信が出なければ人前で話せない。十分にやる気が高まらなければ、新しいことを始められない。そう信じています。
ですが、現実では、その逆であることが少なくありません。
運動したくなくても、とりあえず運動着に着替えて外に出れば、体が動き始めます。文章が書けなくても、ファイルを開いて一文だけ書いてみると、次の一文が浮かんできます。気の進まない仕事も、机に向かって5分ほど手をつけると、思ったより長く集中できたりします。
行動を始めると、脳はその行動を続けるために必要な状態へと、少しずつ切り替わっていきます。
ですから、「やる気が出たら始めよう」という言葉は、出発の順番を逆にとらえているのかもしれません。
より正確な順番は、むしろ次のようなものです。
行動する。 少し慣れる。 小さな進展が生まれる。 できそうだ、という感覚が芽生える。 そのあとに、やる気がついてくる。
私たちが「待つべきだ」と思っていたやる気は、実は出発点ではなく、行動を始めたあとに得られる結果なのかもしれません。
最初からうまくやろうとする気持ちが、始まりを止める
行動が大切だとわかっていても、いざ始めようとすると、また別の問題が現れます。
それは、「完璧に始めたい」という気持ちです。
文章を書くなら、最初から良い文章を書きたい。新しいサービスを作るなら、完成度の高いものにしたい。勉強を始めるなら、隙のない計画表から作りたい。
けれども、完璧に始めるための準備をしているあいだに、実際の行動はどんどん後回しになっていきます。
完璧主義は、必ずしも「基準が高い」という問題ではないのかもしれません。むしろ、失敗した姿を見たくない、という気持ちから来ていることもあります。始めなければ失敗せずにすみ、結果がなければ評価されることもないからです。
ですが、始めないあいだは、成功も、学びも、修正も起こりません。
最初からうまくできる人は、ほとんどいません。うまくやれる人の多くは、下手な状態で始めて、数えきれない試行錯誤を重ねてきた人です。
道が完璧に整ってから歩き始めるのではありません。
一歩ずつ歩く過程で方向が見えてきて、自分の歩いてきた跡が、やがて一本の道になっていきます。
繰り返す行動が、脳の「反応」を作る
もう一つ、大切な考え方があります。それは「反応(反射)」です。
ここでいう反応とは、熱いものから手を離すような、単純な身体の反射だけを指すのではありません。ある状況に出会ったときに、考えるよりも先に出てくる、慣れ親しんだ言葉や行動も含みます。
難しいことに出会ったとき、ある人は自動的にこう言います。
「自分は、もともとこういうのが苦手だ」
一方で、別の人はこう反応します。
「とりあえず、一度やってみよう」
こうした反応は、一朝一夕にできたものではありません。ふだん繰り返してきた言葉や行動が積み重なって、自然に出てくる反応になったものです。
人に会うのを避ける行動を繰り返すほど、避ける反応はより慣れたものになります。仕事を先延ばしにし続けると、面倒な課題に出会ったとき、先延ばしが自然な選択になります。反対に、小さなことでもすぐ着手する経験を繰り返せば、「とりあえず始める人」の反応が作られていきます。
良い行動だけでなく、良くない行動もまた、繰り返すほど脳の慣れた通り道になります。
その意味で、習慣は単なる生活のパターンではありません。
私たちが世界に向き合ったとき、どんな反応を自動的に取り出すかを決める、一種のトレーニングだといえます。
私たちが繰り返す言葉も、脳を鍛えている
行動だけでなく、よく使う言葉も大切です。
「面倒だ」
「自分には無理そうだ」
「今度でいいや」
「やっても意味がない」
こうした表現を繰り返すと、私たちは新しい状況に出会うたびに、まず「やらない理由」から探すようになります。
反対に、次のような表現をよく使う人は、違う反応を身につけていきます。
「まずは少しだけやってみよう」
「わからないところは、やりながら学べばいい」
「失敗しても、何か一つは残る」
「完璧じゃなくても、今日始めよう」
これらの言葉は、現実を無条件に前向きに見よ、という意味ではありません。
根拠なく「自分は何でもできる」と唱えることよりも、行動につながる現実的な言葉を選ぶこと。そのほうが大切だといえます。
「完璧にやり遂げる」という言葉よりも、「10分だけやってみる」という言葉のほうが、実際の行動を生みやすいものです。
そして、その小さな行動が繰り返されるとき、私たちの反応も少しずつ変わっていきます。
「自分らしく生きる」とは、自分を発見することではない
多くの人は、自分だけの道を見つけたいと願います。
本当に好きなことは何か、自分に合った仕事は何か、どんな人生を送れば後悔しないか。そう悩みます。
もちろん、こうした問いは大切です。ですが、考えるだけで完璧な答えを見つけるのは、難しいものです。
何も試していない状態では、自分が何を好きなのか、正確にはわかりません。実際にやってみて初めて、思ったより合っているのか、思ったより大変なのか、続けたいのかどうかが見えてきます。
ですから、自分らしく生きるとは、どこかに隠された「本当の自分」を発見することだけではないのかもしれません。
いろいろな方向に動いてみて、経験し、失敗し、選んでいく過程で、自分を作っていくことに近いといえます。
最初から自分のために用意された一本の道が、存在するわけではありません。
自分が歩き、経験し、選択を重ねるなかで、その道が少しずつ「自分の道」になっていきます。
人生を変えるのは、大きな決意ではない
私たちは変化を考えるとき、あまりにも大きな場面から思い浮かべがちです。
仕事を辞める、新しい事業を始める、毎朝早く起きる、一度に人生を変えるような決断を下す。そうしなければならないと考えます。
けれども、脳を変えていくのは、一度の大きな決意よりも、繰り返される小さな出力です。
本を書きたいなら、今日、タイトルを一つ書いてみること。
運動を始めたいなら、靴を履いて10分だけ歩いてみること。
プログラミングの力をつけたいなら、小さな機能を一つ、自分で作ってみること。
人と親しくなりたいなら、まず短いあいさつをしてみること。
外国語を学びたいなら、今日覚えた表現を一つ、声に出してみること。
こうした行動は、あまりに小さくて、たいした意味がないように感じるかもしれません。
ですが、大切なのは行動の大きさではなく、方向です。
一度の小さな行動は、次の行動のハードルを下げます。繰り返される行動は慣れを生み、慣れは自動的な反応へとつながっていきます。
結局、私たちは考えるだけで望む自分になるのではありません。
繰り返し行動した方向へ、少しずつ変わっていくのです。
やる気のない日でも、動き出す方法
では、やる気がまったく出ない日には、どう始めればいいのでしょうか。
答えは、目標をあきらめることではなく、「始まりの大きさ」を小さくすることです。
「今日、文章を完成させる」という目標が負担なら、ファイルを開くだけにする。
「1時間運動する」がつらいなら、ストレッチを5分だけする。
「講義を全部勉強する」が重いなら、最初の1単元だけ再生する。
「プロジェクトを完成させる」が漠然としているなら、フォルダとファイルを作るところから始める。
最初から最後までやり遂げよう、と自分を説得する必要はありません。
始めるために必要な、最小限の行動だけを決めればいいのです。
脳は、始める前には、その仕事を大きな負担だと予想します。ですが、いざ手をつけると、実際の難しさや次の段階が、見えてきます。
行動が、漠然とした恐れを、具体的な問題へと変えてくれるのです。
具体的な問題は解決できますが、頭の中で膨らんだ漠然とした不安は、なかなか解決できません。
だからこそ、いちばん難しい瞬間は、仕事をしているあいだではなく、始める直前であることが多いのです。
結局、私は「繰り返した行動」の結果である
私たちは、自分を性格や才能で説明しようとします。
自分はもともと消極的だ。
自分は粘り強さが足りない。
自分は実行力がない。
自分は新しいことが苦手だ。
ですが、こうした姿の一部は、固定された本性ではなく、長いあいだ繰り返してきた反応の結果なのかもしれません。
避ける行動を繰り返せば避ける人になり、始める行動を繰り返せば始める人になります。否定的な言葉を繰り返せば否定的な反応が速くなり、小さな試みを繰り返せば、新しい状況で動き出す速さが増していきます。
人は、思い描いた姿よりも、繰り返した行動に近い人になっていきます。
ですから、自分を変えたいなら、まず心を完璧に変えようと頑張る必要はありません。
今日の行動を、ほんの少しだけ変えればいいのです。
気分が良くなるのを待たずに、まず体を動かしてみる。自信が出るのを待たずに、下手なまま一度試してみる。完璧な道を探そうとせず、目の前に見える一歩を、まず踏み出してみる。
やる気が行動を作るのではなく、行動がやる気を作る。
そして、その行動が繰り返されるとき、私たちの脳も人生も、少しずつ違う方向へ動き始めます。
変化は、決意する瞬間ではなく、実際に始める瞬間から起こります。
読んだあとに、考えてみたい問い
いま、やる気が出るのを待ちながら、先延ばしにしていることはありませんか。
そのことを始めるために必要な、いちばん小さな行動は何でしょうか。
難しい状況で、自分は習慣的にどんな言葉を口にしているでしょうか。
最近、自分が繰り返し強めている行動は、望む方向と一致しているでしょうか。
今日一日のなかで実践できる、小さな「出力」は何でしょうか。
出典・参考
- 動画:チャン・ドンソン(장동선)の「気になる脳」、「まず始めて行動することで脳は変わる|行動の脳科学」
- 参考図書:池谷裕二『自分らしく生きたくて、脳科学を読んでいます』(原題の邦訳は書籍情報をご確認ください)
- 元動画:https://www.youtube.com/watch?v=9uos2eMwUbg
※ 本記事は、上記の動画の主な内容をもとに、筆者が理解した視点から再構成した解説です。動画の発言をそのまま書き起こした記録や公式の原稿ではありません。より正確な文脈は、元動画でご確認いただくことをおすすめします。

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